決断(ヒストリー2)

1997年アメリカの通販会社からのオファーで日本のエスプレッソマシンの修理拠点になるも、1年間全く修理オーダーが来ず、ついに販売を決意したその続編です。

日本でのエスプレッソマシン認知がほとんど無い時代、天理市の店舗に並べて売れるはずもなく、ネットに特化して販売していくことにしたことはブログの初回でお話ししました。

1998年春、ネットで売るといっても、僕にはその知識はなく、まずはインターネットの勉強から始める必要がありました。

家電販売の店舗にも出ていた為、空き時間や閉店後にしか勉強できず簡単なサイトができあがるまでに数カ月を要しました。

当時の扱いメーカーは1社、商品数2アイテムのいずれもタンク式マシンの掲載でスタートです。

簡単な商品写真と僕の個人アドレスと電話番号を掲載したお粗末なサイトで、エスプレッソマシンを扱っている会社があることを知っていただく程度の情報量でした。

最初の1年間は全く反応なし。

2年目に入った頃から3か月に1回程度、電話やメールで問い合わせが来るようになります。

お問い合わせいただくのは、海外生活経験のある商社マンや学者さん、お医者さんなどで海外で使用経験があり僕よりもずっと詳しい為にお客様から頂いた質問を仕入れ先に確認、回答することでこちらが勉強させていただき、その情報をWebサイトに書き加える。

そしてようやく3年目くらいから数カ月に1台くらいのペースでエスプレッソマシンの販売ができるようになります。

いつ売れるかわからない為在庫は持てず、注文が入ればメーカーに1台だけ飛行機便で発注という状態でした。

2001年11月家電と修理工房の実店舗は完全閉鎖となり、倉庫だった場所に僕の仕事場を移し、いまだ実績の見えないエスプレッソマシン販売に全てをかけることになります。

注文頻度も増え、すこし軌道に乗ってきたかに見えたその直後。仕入れ先のアメリカ通販会社のオーナーが変わります。

実はそれまでのオーナーは親日家だった為、日本でのエスプレッソマシン販売を考えたのでした。

スタッフに日本人もいたので、日本語でやり取りができておりましたが、新オーナーはどうも日本や日本人に良い感情を持っていないのか、現地の日本人スタッフは次々に退職してしまい、こちらの質問にもまともに答えてくれないばかりか、入荷した製品は中古品のようなひどい状態で送ってくるようになりました。

保証期間中の故障をこちらが処置しても部品のワランティー対応などもしてくれなくなり、信頼関係は完全に崩れました。

この頃になると日本におけるインターネットはかなり普及し、以前から業務用の厨房機器メーカー数社がイタリアンレストラン向けに業務用のエスプレッソマシンを販売していたことがわかってきました。

彼らは営業拠点を全国に持ち、厨房機器といっしょに専属の営業マンが客先に出向いて販売しています。

修理、設置も各都市に拠点を持ち自社サービスマンが365日24時間体制の会社もありました。

競合会社もはっきり見えてきたのにこのままでは完全に弊社は取り残されます。

「完全に後れを取っている。どうすればこの現状を打破できるだろうか。」

「エスプレッソマシンをあきらめるか、つき進むかどちらの道が正しいのか?」

「幸いまだ数台程度しか販売していない。
今なら買っていただいたお客様にも事情を説明して何らかの手は打てる。
辞めるなら今だ。」

「でも、辞めてどうして生きていく?いまさら家電ではやっていけない。」

「エスプレッソマシンで突き進むとしたらどのような方法で?
どうすれば実績も資金もない後発の弊社は生き残れるのだろうか?」

「どうすればいい?」

深く考える日々が続きました。

いろいろな可能性を考え、引くか進むか自問自答を繰り返したある日、やはりエスプレッソマシン販売を続けると腹を決めます。

そして極めてシンプルな答え。

「北米から輸入しているのはイタリア製なのだから、まずはイタリアから直に仕入れよう。」

さっそく今まで販売していたメーカーのイタリア本社に直接購入できないかの打診をします。

ところが全く相手にされません。恐らくそのアメリカの会社はかなりの仕入れボリュームがあったので摩擦を恐れてのことでしょう。

あきらめず日本市場の将来性や弊社の修理技術など丁寧に繰り返し説明することでようやく全額先払いを条件に取引が出来るようになりました。

しかし、すでに他社に後れを取ってしまっている弊社は1社と直接取引ができたからと言って競合他社と渡り合えるはずはありません。

早急に次の一手を打つ必要がありました。

「競合他社に勝つにはどういう手があるか。競合他社のウイークポイントはなんだろう?」

「日本のユーザーは何に困っているのだろう?」

「僕がユーザーとしたら、どんな会社から買う?」

「日本のエスプレッソマシン業界には何が足らない?」

「家電業界ほど差はつけられていない。今なら何をすれば追いつける?」

「他社ができずに我々が出来ることはないのか?」

「なにか突破口があるはずだ。」

いろんな可能性を考えたり仮説を立てました。

でも、簡単に答えなど出るはずもありません。

また、いたずらに時間をかける余裕もありません。

「とにかく早く動かないと。戦術の微調整は動きながらやろう。」

「他社はできないがウチなら出来るかもしれないことは?」

「お客様の望んでいることで業界が答えを見いだせないでいることは?」

「業界の常識がお客様を不便にしていることは?」

焦りの日々は続きます。

というわけで、続きはまたの機会に。

1 個のコメント

  • 面白そうなのでブログ読ませていただきました。上田社長の葛藤の日々を垣間見ることができました(笑)エスプレッソと聞くといつもなぜか思い出すことがあるのです。オケのホルンの先輩のイタリア留学での話しです。

    ホルンの先生が午後の3時になると決まって行きつけのカフェでエスプレッソを注文するんだが日本ではまだエスプレッソなど一般には知られてない時代だった自分も知らなかったので取りあえずそれを注文した、先生は砂糖とミルクをたっぷり入れて飲むのでそれを真似して飲むととても美味しかった!当時は貧乏学生だったのでよくご馳走になった。帰国してエスプレッソを置いている喫茶店などなくて淋しい思いをした。

    私はこの話しを大阪にある某高校でラッパのレッスンをした帰りに「スタバ」の前を通りかかった時に思い出し思わず「エスプレッソ・ダブル」を注文した、これが私の初めてのエスプレッソ体験でした、なるほど!そういうことだったのか、疲れた神経を癒してくれる、さらにもうひと頑張りの活力をくれる、普通のコーヒーを飲む時とはシチュエーションが違うのだと納得したのです。

    それともう一つスコット・津村さんの写真とエスプレッソはイメージがピッタリなんだなあ、彼のブログ Shot & Shotをご覧あれ http://scottts.exblog.jp/

    ということで私のエスプレッソに対する受け止め方は間違っているかもしれませんが日本ではまだ馴染みが薄いのは確かですチョット洒落たエスプレッソの飲み方を提案する必要があるのではないかな?と想ったのです。やはり「写真・動画・ポエム・キャッチコピー」などが有効なのでしょう。
    失礼は承知で社長のブログを読んでフッと想ったもので、読み流してちょうだい、ハハ…。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    上田 隆

    1959年奈良県天理市に家電販売店の2代目として生まれる。関西大学第一高等学校・関西大学卒。1987年株式会社大一電化社社長就任。その後は会社ヒストリー見てね。趣味は、オーケストラ演奏(トランペット)と読書。